旅に出よう。形式ではなく内容としての旅に。
人はなぜ旅に出るのか。それは人それぞれかもしれないが、抽象的にすればいくつかの答えが出てくる。たとえば「街の窮屈さから逃れるため」とか「自然を求めて」とか、或いはたんに「楽しむため」とか。
それらを見ていると旅というのはどうも「井の中の蛙が外に出る」ような要素があるように思う。つまり自分の住んでいる町の中にいては自分の住んでいる町の全体像は見えない。しかし外から見れば客観的に見えてくるわけで、仮に今短所だと思っていることでも本当は長所なのかもしれないし、長所だと信じている事でも本当は短所なのかもしれない。それを見直すことができるのだ。
そしてそれは同時に自分をも見直せるのではないだろうか。
自分の培養地を見直すのだからそこに住む自分の姿も浮かぶかもしれない。
しかし自分を見直すのに旅に出る必要はない。この場合での旅は必要条件ではなく充分条件に変わる。街を見直すために街を出る。ならば自分を見直すためには他人を必要とするわけである。他人からの正直な意見を聞く事によって自分でもわからなかった本当の自分が見えてくる。街の中よりも旅に出れば多くの出会い、ふれあいが生まれる。正直な意見も聞けるだろう。当然自分を見つけるチャンスも増えてくる。そういう意味で旅は充分条件だ。
自分の住む街、自分の身の回りを探すために外に出ることが旅と見る事が出来るのならば、自分の心、考え、自分そのものを探すために他人とふれあうこと。内容的には「旅」なのではなかろうか。他人とのつき合いから自分を探すこと。それは「旅」なのではなかろうか。
日常生活に旅はあふれている。日を過ごすことが旅なのだ。友と話し、上司や先生と接し、子供と戯れ、道を行く人と挨拶を交わし。そう、その全てが旅たりえるのだ。
旅に出よう。形式ではなく内容としての旅に。
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