旅 〜第二章〜

 旅は点の中に見えるものではない。線を廻り旅は旅たりえるのだ。しかし、線を廻ればよいと言うわけではない。

 最近、色々な観光地を廻るツアーというものが増えてきている。数箇所の観光地をピックアップしてそれを線でつなぎ、旅をするらしい。しかしツアーと言うのは、旅となることがまた難しいもののように感じる。
 旅とはとにかく楽しいもの、或いはストレスや悩みを解消させ、発散させてくれるもの、或いは悲しみに浸って開き直るもの、……様々ではある。様々ではあるがそのためにはまず自分から行動する事が要求されはしないだろうか。つまり「される」から「する」への切り替えである。
 とかく日常は他動、或いは受動と言ったもので満ち満ちている。起こされる。ラッシュにもまれる。仕事(勉強)を押し付けられる。付きあわされる。他にも上司に愚痴を聞かされる、失敗をいつまでも嬲られる、成功を影で妬まれる、等等。数えればきりがないストレスの原因だ。そんな受動や他動、もっと言えば使役の世界からの開放こそが旅の良さであるとはいえないだろうか。ツアーは確かに行きたいツアーを選ぶまでは自分の意志だが、いざ旅に出てみると、連れまわされ、バスに乗らされ、……。いくら受動からは抜けられないにしても、もう少し自発的に行動できる空間を作らない限り旅とは呼べない。呼びたくないのだ。
 旅は心の洗濯。ベタな台詞だ。心がストレスという、都会の臭いという名の埃で汚され、どうにも汚く思えたとき、旅という名の洗濯によってそれらを洗い流したい。ならばその洗濯をする両腕すらも人に任せてしまったら、自分の洗いたい場所など気付いてもらえずに終わってしまうのではなかろうか。

 自分の手で、自分の足で、自分の力で、自分だけの旅を……。

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