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ドラキュラ | ![]() |
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STAFF
製作・監督: フランシス・フォード・コッポラ8歳でブラム・ストーカーの原作に打ち慄え、14歳でベラ・ルゴシのドラキュラに魅せられたというコッポラ。60年代以降の世界映画界で最もセンセーショナルな論議を呼び続ける男が、またも波紋呼ぶ一作を投じた。 |
| 原作者:ブラム・ストーカー シェリー夫人の「フランケンシュタイン」から80年後、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」は、かつてない恐怖文学の一大傑作として、ビクトリア朝ロンドン市民を震撼させたという。この一作で、文学史上に不滅の功績を残したストーカーは、1847年アイルランドのダブリン生まれ。ブラムはエイブラハムの略。 名門トリニティ・カレッジに進み、在学中は演劇に熱中。時の名優ヘンリー・アービングに傾倒し、演劇記者をへてアービングのマネージャー的存在となった。アービングについての回顧録は高く評価されている。 1890年、母校の先輩シェルダン・レファニュの「吸血鬼カミーラ」に触発されて、恐怖諸説の構想を開始。トランシルヴァニア地方に伝わる伝説と吸血鬼信仰にヒントを得て、1897年に「吸血鬼ドラキュラ」は完成。以後、演劇、映画など様々なジャンルに脚色されて、百年の歳月にも色あせない傑作として今に残っている。 |
| 製作:フレッド・フュークス 現"アメリカン・ゾーエトロープ・スタジオ"社長。ウェズリアン大学を卒業後映画界入り。コッポラとの出会いは、テレビの"フェアリー・テイル・シアター"のワン・エピソードで、コッポラが演出し、石岡瑛子が衣装を手がけた。次いでフュ―クスが映画界へ本格参入した「タッカー」(88)で再会。「ニューヨーク・ストーリー」(89)ではライン・プロデューサーをつとめ、「ゴッドファーザーPARTV」(90)「ウィンズ」(92)では製作総指揮に当たっている。 |
| 脚本・共同製作:ジェームズ・V・ハート スピルバーグの「フック」に続くビッグ・プロジェクト。原作の醍醐味を損なうことなく、13年間の"格闘"の末にねじ伏せた2本目の大作に感慨無量だ。 米ルイジアナ州シュレブボート生まれのテキサス育ち。サザン・メソジスト大学に学び、経済を専攻しながら、放送映画芸術の修士号を獲得。在学中、低予算映画を製作している。 1970年、サンフランシスコの"アメリカン・ゾーエトロープ"の門を叩き、コッポラと接触。彼から熱い励ましを受けたのが、今日のハートを決めた。70年代末からハリウッドで脚本家活動に入り、"ドラキュラ"の仕事は77年から取り組んできた。将来、監督にも意欲を燃やしている。 |
| 撮影:ミハエル・バルハウス 1935年ベルリン生まれの名カメラマン。 少年の頃、流麗なカメラワークで知られるマックス・オフュールス監督の「歴史は女で作られる」の撮影現場に刺激を受け、撮影監督を志したという。25歳で一本立ち。15本組んだライナー・ベルナー・ファスピンダー作品「マリア・ブラウンの結婚」他を中心に名声を築く。1982年、ジョン・セイルズ監督の「ベイビー・イッツ・ユー」でハリウッド入り。「ブロードキャスト・ニュース」「恋のゆくえ」の2作でオスカーにノミネートされているが、「アフター・アワーズ」(85)以来のマーティン・スコセッシ監督とのコンビが有名。 |
| コスチューム・デザイン:石岡 瑛子 日本が世界に誇るアーティスト。プロジェクトごとに肩書きを着替え、次々に型破りな実験を試みる。NYを拠点とし、映画、オペラ、芝居、展覧会等、幅広く活躍。 「コスチュームはセットだ」というコンセプトを立てたコッポラの熱心な説得により、ビクトリア時代を背景にかつてない大胆華麗な表現を展開。NYタイムスをはじめ米ジャーナリスト達の絶賛を浴びている。 米映画「MISHIMA」でカンヌ映画祭芸術貢献賞、M・デイヴィス「TUTU」でグラミー賞受賞、ブロードウェイ芝居「Mme. BUTTERFLY」でトニー賞ノミネートなど、日本人として初めての賞を受け快挙を重ねる。92年秋、デザイン界のアカデミー賞といわれる"米アートディレクターズ・クラブ・ホール・オブ・フェイム"の栄誉殊勲者に選出された。 |
| 音楽:ボイテェフ・キラール ポーランドを代表する現代音楽の作曲家。故国では、映画音楽家としての人気が高い。 1932年、ウクライナ共和国リボフ生まれ。ポーランド・カトビーツェの音楽大学でW・マーキビッツについて作曲法を学び、パリでナディア・ブーランジェについても作曲を学んだ。 |
| 視覚効果:ロマン・コッポラ "父子鷹"の威力を遺憾なく発揮して父フランシスをサポートしたロマン。プロとしてのスタートは「ワン・フロム・ザ・ハート」のキャスティング部門の仕事で、これが15歳の時。16歳で"THE BLACK STALLION RETURNS"の録音係りを務め「アウトサイダー」ではロケ・アシスタント、「ランブルフィッシュ」では製作補佐を務めた。ニューヨーク大学映画科に3年間在籍した後、コマーシャルや低予算映画の製作に従事。そのうちの"THE SPIRIT OF 76"は、メジャーのコロンビアからリリースされた。近々監督にも進出する意向。 |