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フランシス・フォード・コッポラ監督作品

歴史上のドラキュラ

ドラキュラ・ヴラド"串刺し公"

小説「吸血鬼ドラキュラ」の舞台になっているトランシルヴァニアは、その言葉(山のかなた・・というラテン語)が示すように、三方をカルパチア山脈に囲まれている。1918年ルーマニアに帰属したが、それまでハンガリー、オスマントルコ、オーストリアの領土返還の歴史がある。したがって言語は、ほとんどルーマニア語(ラテン語)だが、この地方ではハンガリー語やドイツ語を話す住民も多い。

15世紀、トランシルヴァニアの南に隣接したワラキアの君主はヴラド・ドラクル(悪魔公、1447年没)であった。"ドラクル"には悪魔とドラゴン(龍)の二つの意味がある。その息子の一人にドラキュラ・ブラド・ツェペシュ(1431〜1476)がいた。ツェペシュは"串刺し公"の意味で、ドラキュラは悪魔の子、龍の子を意味する。

十字軍とオスマントルコ帝国の戦い、その戦国時代にワラキアを治めた二人の君主。一時期4年間ドラキュラは、父の反逆をおさえてる意味でトルコに人質となっていた。彼の残虐性の源は、そのあたりに潜むのかもしれないが、後、彼の殺戮が狂気じみてあまりに大量であったために、"串刺し公"と呼ばれるようになった。

敵味方の区別なく、意に染まないもの、道義に反する者は直ちに処刑された。国籍、宗教、富、年齢、性別にかかわりなく、串刺しにしてさらした。釜ゆで、生皮はg、切り刻みなども行われた。即死をさけジワジワ殺すように杭の頭を尖らさなかった。股からつき裂き、ある時は赤ん坊を胸に抱いた若い母親を赤ん坊ごと串刺しにしたりもした。また、トルコとの国境であるドナウ川沿いに、トルコ人を中心に二万体の串刺しをさらした様は、トルコの豪胆なメフメット二世をたじたじとさせたと伝えられる。こうして処刑された者は十万人を越えたといわれている。

しかし、ドラキュラはトルコとの戦いに勇名をはせ、自治公国としての地位を守った事も事実であり、現在のルーマニアの首都ブカレストを、東西の交易の中継地として発展させる功績も担った。