撮影雑記帳 2004年8月編
★8/2 入選通知
雑誌の入選通知が来た。これはいつも予選通過するものの、あと一歩というところで掲載を逃しているタイプのものでまた久しぶりというものだった。まあ最近作でもなくストックが選ばれたいつものパターンなのだが、フイルム代ぐらいにはなるのでこれも重畳。ないよりかあるにこしたことのない知らせである。載る予定のものはまた「鉄道もの」である。巡り合わせというか、クルマを多用してからこのジャンルの受けがよい。なんだか皮肉めいたものではある。
★8/5 薄暮の出撃
午後7時、秦野発。クルマをかっ飛ばして長野へと向かった。目的地は駒ヶ根。先月末まで迷いに迷った夏の遠征は中央アルプスに決めた。車中泊、小屋一泊の計画である。何より時間の制約が今まで以上にあったので、諸処の事由を勘案して「私でも運転して行ける場所」ということになった。南アルプスの交通規制や北アルプスの向こう見ず的な徹夜行は、この遠征の直後に直行する伊豆下田に影響するとみて今回は没にした。盆入りの土日も絡むこととなって首都圏をまたぐ東北・北関東方面も避けた。実に明確な理由ではないか。
詳しい(?)ことは「山行記」に書こうと思うが、私にとってはクルマで行く最遠地なのでワクワクものであった。途中の白州までは甲州街道で行ったことはある。それ以外、特に伊那谷方面は初めてなので得意(??)の夜間移動のことも含めて「行くぞ」という気になった。
出発直後に夜食の弁当を忘れて舞い戻った失態も15分のロスで取り戻し、例のごとく籠坂峠を越えたところで、富士山に点る山小屋の灯りが美しいので忍野で小休止を兼ねて夜景の撮影をしようとしたが、セッティングしたところで雲が山を覆ったので結局撮れなかった。
その後、河口湖の花火大会を見ながら交通規制のかかっていた御坂越えはやめて、精進道を今回は甲府盆地へと下った。花火大会も美しかったが、山を下るときに見えた甲府盆地の夜景もまた美しかった。
そこから諏訪湖までは国道であるが山間を走っているということもあって視界も狭く、ただただ前のクルマに追いついては標識通り進むのみだった。適度な間隔でコンビニがあるのはありがたいが、いちいち休んでいては駒ヶ根にいつ着くかわからなくなるのでとにかく前進する。山梨と長野の県境付近で雨が降ってきたりもした。
諏訪湖湖畔でまた小休止。対岸の夜景が美しい。写真も撮りたかったが、風が強かったので適さないと判断し、夜風に身を晒して眠気をとるのみに終わった。諏訪湖に着く直前に峠越えの高遠方面のショートカットコースもあったが、安全策をとって飯田線方面から駒ヶ根をさらに進む。時間帯からしても地域的にも国道を走っているのだがいよいよクルマは少なく一人旅状態になることがほとんどだった。
かくして午前0時過ぎ、駒ヶ根の菅の台バスセンター駐車場に到着。ここからは交通規制区間なので専用バスならびにロープウエーを使って千畳敷まで登る。臨時バスはまず間違いなく出るだろうという観光協会からの情報だったので4時過ぎごろまで一眠りすることにする。クルマのイスを倒せば下手な夜行バスよりずっと快適なリクライニングである。さすがに高原というだけあって外は肌寒い。夜を徹して来たクルマが時折出す音で目が覚めてしまうので快眠とはいかなかったが、2時間半程度は記憶がなかったので、私の眠りとしてはまあまあだ。アルプスといってもここはかつてないほど楽に登れる場所なので少しくらいの寝不足でも大丈夫と踏んでのことである。まあ、無事にたどりついてよかったというのがこの日の行程である。
★8/7・8・9 山(中央アルプス)&海(伊豆下田)
かくして駐車場から出る臨時の一番バスと登りロープウエーにストレートで乗ることができ私は一気に千畳敷まで難なく来ることができた。バスより先行してタクシーで登った御仁もいたが、ロープウエー定員61名をおびやかすほどのものでもなかった。山岳路線と称す林道を走る大型バスの運転テクニックに舌を巻いたり、ロープウエーの秒速7メートル上昇に驚いたりと、やはりこれらがなければ選ばない場所であると改めて感じた次第である。標高700メートルから2500メートルまで1時間以内で来てしまうのである。すごいところがあるものだと素直に感じた。
ここからはまさに「山行記」の範疇なのでより簡潔に書こうと思う。
千畳敷はちょうど天気の変わり目で雲が覆い被さろうとしていたが「それでよし」といきなり撮影モードで谷底から屏風のようにそそり立つ宝剣岳を撮っていた。どこかで見たような景色なのだが、ファーストショットとしては上々だった。
しかし、スタートから由々しき事態が・・・。メインのカメラの調子がおかしくなったのである。これには困ってしまった。ファィンダー視野率100パーセント、段階露出1/3ステップが使えなくなるというのは非常に痛い。しかし、調子の悪いカメラで撮り続けて全没になるリスクの方が高いと判断したので、サブカメラの登場となった。視野率94パーセント、段階露出1/2ステップという以前の私のスタイルに戻ったわけである。不測の事態であったが、備えあれば憂いなし(でもないが・・・)ということでこの後はEOS10の大車輪でこの遠征を乗り切った。
山の花はちらほら咲いていた。夏の訪れが早かったらしく、派手目の花はそのピークが終わってしまったとのことだった。やはり山の夏は一瞬なのである。それでも岩陰や植生の限界地に咲く、撮りたいものは撮ることができた。特に駒薄雪草は早朝ということもあって水滴を美しくつけていた。あともいろいろ花は撮ったが今回はこの薄雪草が撮れただけでも満足であった。
主稜線までは40分もあれば千畳敷から行けるので宝剣岳・木曽駒ヶ岳だけだと朝夕の写真を狙わなければ日帰りで余裕なので、じっとしていられない私は極楽平から三ノ沢岳という山を往復で登ることにした。これなら往復で4時間近くつぶすことができる。
まあ、雲の中を歩いているような感じではあったが、昼前には三ノ沢岳分岐まで帰ってきて、ちょっとスリルのある宝剣岳やのんびり登れる木曽駒ヶ岳の頂上を踏んだ後、午後2時には頂上木曽小屋に入った。
それから夜の雷雨に至るまでずっと小屋の前で雲の晴れ間を待っていた。待っていた甲斐もあって光の状態は「やったー」というものでもなかったが、雲やガスの感じはとてもよかったので「山」の雰囲気は十分おさめることができたのではないかと考えている。次の日は朝からガスで視界はあまりきかなかったので結局撮れたのは7日のみだった。しかし、頂上木曽小屋は撮影展望台という感じの好みのロケ地で夕暮れの三ノ沢岳はなかなかいい感じに撮れたと思っている。何かの機会があったらコンテストの応募を考えよう。
山は朝一番にロープウエー&バスで降りたので両方とも1人の貸し切り状態だった。先日の落雷で止まってしまったロープウエーなので、早朝から「雷が落ち次第、運行を中止します」のアナウンスを連呼していたので登ってくる人を脇目にさっさと行動したということであった。もちろん登りのロープウエーもバスも満席状態でお盆パターンになっていた。
バスはつごう40分ほどの乗車であるが、林道の行き違いの待機ごとに運転手氏がいろいろなことを教えてくれたので退屈はしなかった。空いている時間帯でラッキーなできごとではあった。
7時過ぎにはバスセンターに到着したので本格的に伊豆に向かうまでブラブラすることにし、駒ヶ根の古寺に立ち寄ったりした。帰りは高遠経由で茅野に抜けるコースをとったのでさらに桜で有名な高遠城址にも寄ったが、駐車料金を取るというので「こんなところか」と一瞥して立ち去った(笑)。茅野に下る杖突峠で休憩したが向かいの八ヶ岳や蓼科方面から沸き立つ入道雲が美しかったので眼下の市街地と絡めてスケールの大きな写真が撮れたのはよかった。高遠から峠に向かう途中の集落の感じも鄙びていてよかったのだが、この時は運転に興じていてそれどころではなかった。もう少しのんびり行けないものかと思う。
長野の県境を突破すると同時に雨。頭上の入道雲が降らせているようだった。中央アルプスも去り際に見てそうだったのだが、八ヶ岳、南アルプスも朝から入道雲が気合いを入れて立っていたので、こんな日に登ったら危ないなー、と思いながら南下していった。雨は韮崎で止んで、また夏空。スカッとしないが降る様子は感じられなかった。
下部手前から富士川と別れて本栖道に入る。下部の道の駅では死ぬほど暑かったが、本栖湖に出た時は富士山も見えないくらいガスがかかっていてそれはそれで幻想的な(何か出そうな)光景だった。富士山が見えないのなら、とそこからは一気に下田を目指すことにした。
三島から国道136号線に入る時にちょっとした渋滞にあったが、あとは一本道。寄り道らしい寄り道もせず、下田に午後5時に着いた。天気が良ければまっすぐ来たかどうかは怪しいところだが、三島から修善寺までも雨に降られたので、そのまま天城越えをしたというわけである。果たして、親戚の家に到着したが、この日自宅を出た蛍子ならびにボーズ、ボンズは予定通り特急で昼には着いていた。ここからは家族サービスをしなければならない(泣)。その詳細については「ボーズ&ボンズ」を参照されたい。
まあ、長距離の移動であったが無事故無違反で何よりではあった。
伊豆では、午後の
★8/11 入院!!!
大層なタイトルだが、カメラのことである。以前から動かなくなっていたEOS630と先の中央アルプス行で調子の悪くなったEOS−1を横浜のサービスステーションに持っていくことになったのである。これまた大層な出費ではあるが、直さなければ写真も撮れないのでこればかりは仕方ない。ステーションに行ったら、10日ほどで一応の修理はできるという、さすがサービスステーションだ。と思ったのもつかの間、「1」の方は部品の在庫がどうかとかのたまっていた。おいおい、過去とは言えEOSのフラッグシップ機の部品がもうないとは・・・。まあ、動くようにしてくださいとは頼んでおいたので何とかなるとは思うが、今度壊れたら中古でも新しい「1」の後継機種を買わねばなるまい。無事に直ったら10年は使ってやろうと思う。そうすれば「EOS−1N」くらい手頃な値段で買えるかもしれない。
修理完了は24日とのこと。頼むぞー、と祈りたい気分だ。
その後、というかボーズを連れて行ったのでまた春に続いて横浜散歩。中華街で昼を食べた後は山下公園から大桟橋まで歩いた。特に大桟橋では「飛鳥」が停泊していたのでボーズそっちのけで本人が飛鳥の写真を撮っていた。大桟橋自体も新しくなってしばらくになるが、そうなって来たのは初めてだったのでその快適さとみなとみらいを撮るにはここしかないだろうというロケーションを確認できたのは良かった。今度は家にボーズは置いてこようと思う私ではあった(笑)。
★8/13 地方区入選
「朗報は忘れた頃にやってくる」。封筒の団体名を見ても「何でこんなところから手紙が来るんだ・・・」と思うくらい相手のことを忘れてしまったりしていることがある。相手に失礼なことこの上ないが、私の名前の表記が「カメラマンバージョン(笑)」になっているため何か写真に関することだろうという察しはつく。速達でもあったので入選以上の通知であることも予想できる。見ると「漁港・漁場コンテスト」というものに入選したということだ。該当の写真は、以前から、どこか認めてくれないかなーと思っていた写真だったので「おお、やっと浮かばれた」と結果に対して満足した。副賞などは大したものではないが、それはそれ、「認めてもらえる喜び」に勝るものはない。そう感じた日だった。
★8/19 虹写真
盆を過ぎてからにわかに天気が不安定である。台風とか、前線の影響とか予報では言っているが、そういう時は一日の中でもころころ天気が変わるのでカメラを持って出勤だ。
果たして朝から虹が出ていた。虹の表現を鋭い、鈍いで表現するかどうかは別として、この日は低かったが実に鋭い感じのする虹だった。市街地と絡めて撮ったのだがそのアンバランスさ、存在感ともに好みの写真となった。自宅が秦野で職場が小田原なのだがその両方でもタイプの違った虹を撮ることができたことも幸運であった。
★8/20 復権・蛍小僧
雑誌発売日。今月は先の通知と併せて2誌に掲載された。私は自由課題より「課題別」の方にどちらかといえば力を入れるタイプなのでそうしたところで評価されたことはとてもうれしい。載ったのは「蛍の写真」である。写真のHP(今は旅行のHPと化しているが・・・)を立ち上げようとした時にハンドルネームを「蛍小僧」なんておかしな名前にしてしまったのだが、その面目は果たしたということになろうか。まあ、そんなことは自分一人で勝手に思っているだけで、こんな文を読んでくれる人には「ああそうですか」という内容のものではある。
しかし、それにつけても今年の蛍写真の撃滅ぶりには改めて情けないものがあったなー。とその写真を見ながら思った次第である。
撮影雑記帳 2004年8月編 おしまい
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