撮影雑記帳 2004年2月編
★2004年登り初め
2/8。この日は今年初めての山登りに出かけた。場所は西湖北岸に連なる御坂山塊の西部にあたる峰峰である。詳しくは「やまのぼり」に書くが、当然のように深夜発、ヘッドランプ登山である。今回は登山口から2時間弱で一端の毛無山(昨年の11月に登ったものとは別)の頂上に立てるというので、「それならそこからご来光撮影だ」と意気込んだわけである。途中、山中湖付近の「−12度」という気温情報に寒気がしたが、そんなものも登り始めてしまえば10分で額に汗なので実質的には数字ほど寒さは感じなかった。さて、今回はどうしても新しく買ったアイゼンを試したかったので雪が積もっていて、何かあってもそれ程困らない山を選んだつもりだったが、この縦走はそれなりに相当なものだった。つまりは10本爪のアイゼンでなければ安心して通過できないような場所があったわけで、積雪の量の多寡に関わらずそうした条件(「さあ、『やまのぼり』へGO!だ」)をクリアするための課題として今回の山行は適切だったと考える次第である。
で、写真の方はどうだったかというと・・・。ます゜計算通り「毛無山」山頂で黎明の富士を撮影。こないだの編笠山でもそうだったのだが、北から撮る富士山は日の低い時期は、日の出後にまったく精彩がなくなってしまう。今回もこれから日が当たるぞ、という時が撮影のピークだったような気がした。まあ、富士山ばかり撮るわけにもいかないので、そのくらいがちょうどいいと言えばいいのだが。
そして十二ヶ岳、節刀ヶ岳、鬼岳とピークを踏んで鍵掛峠というところから西湖の根場という集落へ下山した。雪は稜線部でまあまあ積もっていたがそうした雪を踏みしめる心地よさより凍った箇所をアイゼンで叩き割りながら進むといった箇所が多かった。特に南斜面は解けては凍り、という現象を繰り返してきたのかなかなか手ごわい場所が多かった。「もうこのくらい下れば平気だろう」なんてアイゼンをはずしてからの日陰場所通過は、それまで強気の進撃とは思えないほど情けないものになった。とにかく「歩き」に気を遣った山行だった。
あと、特筆すべきは大パノラマ。特に鬼岳からのものは感動に値するものだった。南アルプスから奥秩父までスカーンと気持ちよく見渡せた。それも眼下に広がる甲府盆地の存在あればこそだとも思った。雁ヶ腹摺山、大菩薩嶺、乾徳山、金峰山、編笠山(八ヶ岳)、甲斐駒、果てはこないだの毛無山まで今までに登った峰峰を眺めることができたのは爽快だった。いつか登りたいなー、という山々も当然視界の中に鎮座しているが、ここでは書かない。秘密である(笑)。
登山が終われば車へ戻るのだが、西湖の北岸を1時間歩いた。バスの便がなかったのである。それはそれでいい運動ではあった。そしてつまらぬ発見だったのが、西湖から富士山が見えたこと。齢40に近づこうかというこの時期にそれを知ることとなった。「何だ、西湖からも富士山が見えるじゃないか」と。さすがに他の4湖ほどフォトジェニックとは言いがたい景観ではあったのだが、主観的なことでもあるので「ここが最高(洒落ではなく・・・)」と思っている人もいることだろう。そういう意味では「穴場」か、とも思った。そういうことを考えながら歩いていた。
それからは韋駄天のごとく、クルマをかっ飛ばして朝霧高原の農道を迷いながらも迫力の富士を撮り、最終撮影地は田子の浦越しの富士という按配だった。どうだ、参ったか。という具合である。特に田子の浦は日暮れギリギリに到着したので道路事情の計算はともかく、日没後の紅色に染まる富士を撮れたことはラッキーだった。このポイントは気に入ったのでまた何かの折には来ることになるだろう。
結局は富士山が好きなのだ。これは紛れもない事実である。そういうことを再認識した一日だった。
★グ!!・・・。の音も出ない。
2/12。一通の封筒。市の観光協会からのものである。封を開ける。紙が入っている。コンクール結果通知である。
それを一瞥して破り捨てる。
まさにタイトルの通り。コメントの一言もない「落選通知」だった。まあ、そんなものかという感じだった。
★大攻勢
2/17。参加することに意義がある。とばかりこの頃プリント応募のコンテストの準備に余念がない。近所にちょっといい写真屋があって今まで「会員価格」でやってもらっていた所と天秤にかけた結果、この新規料金をとっている方を選んだというのがことの発端だった。それで調子こいて六つ切りだ、四つ切りだと注文しているわけである。そしてそれを後押ししているのがネットのコンテスト情報であった。特に興味はなかったのだが、非常に丁寧なサイトなので「ほうほう」と応募不精の私でさえ、これなら締切日を忘れることはない、と今後の情報源として活用することにした。雑誌のコンテスト情報にも目は通すのだが、実質的な応募要綱等はその場ではわからないので正直それ以降の手続きで面倒だったのが実際のところである。ネットではすぐに「源」に行くことができるので非常に楽である。そんなわけで主催者との距離が縮まったわけだ。
そういう意味では今年は去年までと少しコンテストに対する動きが違っている。結果も違ったものになればいいのだが・・・。
★気管支炎
2/18。声が出ない、と思っていたら、数日後には「起きられない」事態に。熱もさほどの状態ではなかったので高をくくっていたら、「気管支炎」との診断。客観的に仕事に出られるような体調でなかったので療養休暇を職場に申請した。
しかし、風邪もこじらせて胸まで来るとほんとに情けないくらい動けないものである。ちょっと動けば汗がじわーっと吹き出てくる。これは運動後のものとは別物である。非常に体力を消耗する病気である。無理をすれば肺炎なのでゴロゴロするのみである。この忙しい時に何をしているのだと思う。
ここまで減量や山登りのためのトレーニングをしていたわけだが、これでそのほとんどがパーになったということだ。とにかく静養してパワー復活を目指したい。
★地方区入賞
2/19。またも封筒。岐阜県からである。封筒を開けると「銅賞」とあった。やったー、入賞だ。と喜ぶ。地方区のコンテストだがひとつのテーマに対して1500点の応募はなかなかのものだろう。これは選者の先生の知名度にもよるものだろうと思う。賞金云々を見れば私のいただける賞は(原板を手放すという対価として)大したものではないのだが、ここは「実より名」をとるのが道理であると考え、辞退せずに原板を送る手続きをした。
さらば、私の作品よ。岐阜県で第二の人生を歩んで欲しい。
★掲載と危機管理
2/20。雑誌発売日。ほとんどのコンテストの当落は事前の通知があるので興味は入賞写真のラインナップや自分はどの位置にいるのかという「予選通過」の確認作業になるのだが、それでも当日にならなければわからない雑誌もある。本屋に行ってその雑誌を祈る気持ちで開いてみると2ジャンルで各1枚掲載されていた。おお!これは久々だ!!と喜ぶ。紙面における面積比からいって、私の写真は薄氷を踏むレベルであることはわかったが、それよりも仰天することがあった。実はこのアマチュア写真のコンテストなるものは作品の管理さえ怠らなければ(ある意味)「常連組」の世界である。だからどの雑誌にも載る人は載るし、顔など見たことなくても「ああ、またこの人か」と名前と写真の作風(厳密には嗜好だろうが・・・)で知った気になっている人はたくさんいる。そういう意味で応募雑誌が競合したり住み分けたりしているのだろうが、今回の掲載誌にいたっては、同じジャンルで最近目をつけている人がトップ掲載されていた。うーむ、これも私が勝手に意識していることだが、この人は私にとっての壁である。特に今回は叩きのめされた感じがする。まあ、被写体に対してのこだわりが先方は明確で、私などはしいて言えば被写体を選ばぬ「器用さ」で持っているようなものなので、同じ土俵に立てば選者にはそう見えるのかもしれない・・・。撮る時は何が被写体でも真剣であることに変わりはないので、驚いたというのは、そうした常連はいるし、常に壁になっているのだなー、ということである。
しかし、今回は私自身の問題として、この「掲載写真」の管理について非常にまずいことがあった。
いわゆる「二重応募規定」への抵触である。私はある時期から応募写真以外はスリーブから切り出さない方法をとっているが、その時期以前は「オリジナル」「予備」と2枚以上切り出していた。それで今回の掲載写真を見て、正直その雑誌に掲載された喜びより、「あれ?最近この写真どこかで見たぞ・・・」と二重応募防止台帳なるものに目を通すと、あったあった先日応募した雑誌にその「予備」が旅に出ていた。まだ締め切り前だったので出版社にメールを送って「応募キャンセル」のお願いをした次第である。そんなメールを大手出版社が聞き届けてくれるかというと、果たしてこちらも誠意(?)を見せれば丁寧に応対して締め切り前に私の応募写真を探し出して送り返してくれる(もちろん返送用封筒は同封してあるので)仕儀となった。まったく情けない話ではあるが、やはり「台帳」システムは有効であったことと二重応募が発覚して恥を晒すより、出来うる限りの次善の策を打つということを今回思い知った。
こうしたことは本当に注意しなければならない。参考になる方ももしかしたらいるかもしれないなー。
★今年の梅
2/24。気管支炎で療養休暇などとっている間にすっかり空気は春めいていて、久々の通勤路も梅の花が匂わんばかりに咲きまくっている。やっぱり梅も1枚くらいは撮らなければと、カメラを向けたが毎年同じような写真を撮っているような気がしたので通勤バッグのポケットにしまってあるストロボ(何でこんなものまで持ち歩いてるんだ!)を装着して、夕闇の梅を撮った。風景写真でストロボなど使おうという発想が今までの私になかっただけ、これは新しい世界への第一歩である。まあ、夕空に抜いた構図なのでまず梅のシルエットなどまず写真としては意味ないので夕映えに浮かび上がる梅というスタンダードな線を実践してみた。どんな感じで写っているか楽しみだ。
★バブリーカメラ
2/25。カメラを買った。中古である。機種はEOS10。これは自分にとってとても懐かしいカメラである。EOSの快進撃は初任給で買った630から始まったと疑わない私は、それからのキャノン販売の宣伝攻勢に感動しっぱなしだった。この10と1の登場が景気の良い時と重なったため、大キャンペーンを行っていた時期だった。つまりはバブリーなカメラだと認識している。このカメラが出た当時はもう撮れないものなどないと言わんばかりの宣伝だった。モードのセレクトでいろいろな写真を撮り分けることができる、10にいたっては作品ブックのバーコードを読み取ればプロ顔負けの写真が撮れるなどという末期的な機能を搭載していた。そうしたカメラを買ったのだ。
理由は、630のシャッターユニットの調子がますますおかしくなってきた。どの旅行に行ってもサブカメラなしの状態がここ1年以上続いていた状況で1だけを酷使するのは忍びない状態になってきた。そこで見かけたのが9800円の10だった。なんでその値段なのか聞いてみるとバーコードリーダーがついていないのでその値段ということだった。まあ、リモートスイッチと被写界深度ボタンがないのはちょっと使い勝手が限定されるな・・・、と思ったがもともと必要ないバーコードシステムがないだけで約一万円はとりあえずコンテストで賞金ももらったので設備投資しようと手を出した。外装もまあまあで、内部の電光表示がイカレテイタのは「むむむ」と思ったが、合焦ランプは正常作動していたので、これもちょっと面倒であるが露出は上面液晶で判断すればこと足れりとそこも妥協した。妥協ばかりの人生ではある。それにしてもさらに懐かしいのが3点測距のフレームでAIフォーカスなどというシステムもたまにはカメラ任せで街のスナップを撮ってみようかなと思わせるものだった。
値段からして3年は使いたいものである。メインの1の稼働率を少しでも下げる活躍をしてほしいと切に願う。
★プラス1
2/27。今日はさる雑誌に私の写真が「特選」として掲載されるということだったので、本屋に行って買うことにした。選者は白旗先生だ。紙面の扱いは久々に大きく1ページだった。写真も縦位置なのでおさまりがいい。満足である。それと同じ雑誌の別部門でもう一枚スナップ写真が掲載されていた。これはいつか世に出したいと考えていた写真なので実に嬉しかった。撮影した時の苦労を考えるともう一段階上の賞が欲しかったが、その上の写真はさらに素晴らしかったので、それでよしとした。ともかく、今月は2誌4枚掲載という、また今までにない(私の感覚で言うところの)掲載ラッシュだった。近場のコンテストで軒並み敗退を続けている現況としては確定したものの他に1枚ボーナスがついたのは何かにつけ励みになる。3月はちょっと写真撮る暇があるかなー、というくらい忙しい予定なので各方面の応募の方に力を注ごうかと思っている。お金は無尽蔵に使えない(当たり前だ!)ので、より作品を選ぶ目が問われるわけである。これはこれでいい勉強になりそうだ。
★「10」始動
2/28。今日は近所にボーズと散歩。飛行機雲が割りと出ていた。肩に下げているのはこないだ買った「1万レフ」である。3点測去はなかなかスムーズだ。フォーカスロックの振り幅が小さいのは小気味良いくらいである。しかし、半押しから押し込むまでの感覚が「1」と違うのでスナップを撮る時には若干の慣れが必要だと思った。あと、これもまた久しぶりに1/2段単位の補正もやってみたが、この日のような飛行機雲写真は雲そのものにも動きがあるので大雑把な補正の方が割り切れたりする。やはり故障した「630」の後継としてはそれなりに期待してよさそうなカメラである。「1」は月一遠征のメインカメラと位置づけ、通勤カメラは「10」でいくことにしようと思う。
しかし、いまさら言うことではないのだが、撮影済みフイルムはたまっていく一方である。ほんとに見るにつけ一掃したいモノではある。
撮影雑記帳 2004年2月編 おしまい
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