撮影雑記帳 2003年12月分
★プロジェクト
12/4。今年の冬はどこに行こうか考えていた矢先、蛍子が「年末の大掃除前だったら2、3日あげるよ」と素晴らしいことを言ってくれたのでそのいくつかの「計画」が具体化することとなった。ひとつは去年の「磐越」に続く「信越」、これは年に一度は雪を飽きるくらい見ようという趣旨のものである。因みに山登りをするようになった私ではあるが、進んで「雪山」に突入する度胸まではない。だからせいぜい雪の降る里をうろうろするのみである。そして、これは長年計画はしてあったものの頓挫に頓挫を重ねて「鬼門」とされた尾道方面。ここを計画した過去2回、私はその直前にあって病床に臥す憂き目にあっている。当然ホテルほか交通機関の予約も全キャンセルだったので行きたくても「何かが起こる」としてうっちゃっておいた場所だった。2泊ではどうか、ということについては今回はクルマと言う手段が私にはあるので尾道のみならず、しまなみ海道をも行動範囲とすることができる。そうなると予算が問題だ・・・。「尾道」は「信越」の倍以上はかかるだろう。あいかわらず私の予算の立て方というのは撮った写真の現像は含んでいないので、どちらの撮影行にしても旅行後に火の車になることはあきらかなので、その「程度」の差がそれ以降の活動にもろに影響する。
そんな両者を天秤にかけて出した結果は、「尾道」。決めたら前に進むのみ。長年の因縁を断ち切ると同時に悔いのない撮影で満足したい。と言えば少しは格好がつくというものだが、実のところこの寒い時期、瀬戸内の気候は穏やかだろうな・・・という魅力に負けたというのが本当のところである。
そんな姿勢で悔いのない写真が撮れるか、はなはだ疑問だが、久々の西方遠征。気持ちを高めて出発したい。
★冬の山
12/7。また深夜の出撃。今回は中央道を小淵沢までクルマで突き進んだ。クルマでの最長運転距離がまた更新された。こんなことしていたらそのうちどこまで行ってしまうんだろう、という勢いだが、天候の好天を信じて八ヶ岳は南方の編笠山を目的地にしての深夜ドライブだった。中央高速での濃霧にははっきり言って恐怖以外の何物でもなかったが、少なくても対向車は来ないという安心感だけで霧の甲府盆地を走っていた。山でのことは「やまのぼり(山行記)」に詳しく書きたいと思うが、強い冬型の気圧配置だったこの日は積雪はもちろん頂上付近での猛烈な風に悩まされた。はっきり、山でこれだけの風を受けたことがなかったのでまさに驚愕すべき山登りだった。いつも思うことなのだが、こんな世界があったのか、という感動ができた。
暗いうちから登れば、クルマへは余裕で昼前に戻れる。その後はお手軽なドライブで八ヶ岳公園線を清里まで突っ走り、閑散とした観光地を一瞥した後、さらに甲府盆地を突っ切り、上九一色村を抜け、午後は精進湖、本栖湖、忍野で富士山を撮っていた。撮った写真としたら編笠よりも後半部で撮ったものの方が多かったりする。特に最後の忍野での写真は「うーん、なかなかいいぞ」という風景写真になっていると思っている。
ともかく、今回もクルマの機動力に感心させられる撮影行だった。決して丁寧とは言いがたい私の運転だが、サニー君はよくぞ応えてくれていると思う。実に頼りになる相棒である。
★久々か・・・
12/10。写真誌の発売日。前は結構載ったのに、今はなー、という雑誌だったが、本屋で自分の写真が載っているのを確認した。選者の「光を見る姿勢」という言葉は私にとっての最高の賛辞だろう。実に嬉しい。光を意識してこそ写真だと思っているところが少なからずあるので風景写真ではいつしか記録的なものは撮らない傾向になりつつある。
とか言っても、やはり本屋で入選を確認した瞬間は嬉しい。そういう気分にさせてくれる雑誌が少ないのはスリリングではないので残念である。
★うむむむむむむむむむむむむむむ
12/13。土曜日、買い物から帰ると郵便受けに山岳誌が入っていた。発売日前なので「おかしいな」と思って見ると、以前私の撮った写真が「年間賞」の候補になっていて、今回、「奨励賞」というものに該当するということが雑誌に載っていた。正直なところ、「ほんとにいいのか?」という感じである。年3回のコンテストで最後しか応募していない私ごときが・・・。という感じなのである。それでも呉れるという賞を辞退することはないので、これはこれでありがたくいただこうと思っている。嬉しいなー。
まあ、奨励賞なのだから、「勝ち逃げするな」というぐらいに解釈して、今後も山に関する写真も撮っていこうと強く思った私ではあった。
★鉄道フェスティバル
12/14。今日はJR東日本の鉄道フェスティバルが東京は尾久客車区で行われるというのでボーズと行ってきた。詳しくは「ボーズ&ボンズ」に記してあるので詳しくは書かない。目当てはそうしたイベントのスナップ写真を撮ろうとカメラだけは持っていったのだが、結局ボーズの記録写真を撮るにとどまった。唯一撮ったといえるのはD51だったが、とにかく黒いので補正でどうにかなっているのか?という按配だ。とにかく子守で疲れた一日だった。
ちなみにこの日から使っているコンパクトカメラはキタムラの中古品である。並品といっても反応は早いし、これが3000円とは私にとっては掘り出し物である。おまけに私の旅行記録カメラとして(今、絶滅に近い)APSカメラを買った。店員に今後の動向を聞いたところ、まだフイルムの供給はコンビニでもやっているので大丈夫でしょう、ということだったのでこれも3000円でニコン製のカメラを買った
。長らく使っていたコンパクトカメラはボンズの手にかかって破壊されてしまった・・・。そんなわけで急遽中古市場に手を出したわけである。
そんなものを買ったので我が家のデジタルカメラ購入はますます遠いものになった。
★彩雲
12/18。今日、彩雲を見た。仕事中だったが、カメラが手元にあったので数枚撮った。職場にカメラを持っていってるのも相当だと思うが、当然日中は仕事をしているので撮ることはない。しかし、今日はたまたま休憩時間中だったので撮れたのである。そんな姿を見た同僚はいぶかったことだろうが、気象現象は一期一会、周りの目などは気にしていられない。と、言うわけで久々に雲にカメラを向けた私だった。
★牙城
12/19。郵便受けに写真誌が入っていた。それをもって掲載通知と知ることになる。この雑誌は応募に力を入れているのでどんな形であれ掲載されてほしいと願っている。果たして、私にとって一番得意の「テーマ」に沿った写真が載っていた。私としては「うーむ、こいつが載ったのか・・・」と意外な感じではあったが、選評を読むと、なるほどそんな意図で私は撮ったのだと確認することができた。扱いは小さかったが、この雑誌に関しては掲載が目的なのでそれ以上は言うまい。まずまずだった。
★新年度
12/20。写真誌の新年度。書店にいっせいに1月号が並ぶ。結果については特に言うことなし。予選通過もあれば門前払いもあり、結局他人様の作品を見るだけにとどまった。
★「尾道・しまなみ」プロジェクト
12/24〜27。ついに発動。悲願の尾道行き。詳しいことは記録写真ができてから「ぷろじぇくと」に載せようと思うのでここではそのあらましだけを書くことにする。
まず、24日出発というのは私にとっては独身時代から久しくなかったパターンで、蛍家になってから初めてではないだろうかというくらい画期的なものだった。それというのも23日が休みだったため、その日にボーズ、ボンズとクリスマスの家庭行事は終えてしまった。そうしたことでこのイブの日に出発できた。夜行バスは新宿発なので、このイブの夜の雰囲気を駅前のサザンテラスで撮ることができた。今年の1/1に磐越に行く途中、このサザンテラスで夜景を撮った時は、元日だけ電飾が休みだったため実に寂しいものがあった。それに比べればライトアップならびに諸々のスナップを撮れたことはスタートとしては上々という感じだった。
夜行バスは小田急と中国バスの相互で、私の乗ったのは中国バスの「エトワール・セト」だった。いつぞやの登山ツアー夜行バスのような4列シートでなく、快適な3列リクライニングである。トイレもついているのでSAで停車しても乗務員交代のためだけだとかで乗客は降りられないとのこと。それはちょっと残念だったが、座席が快適なので眠ることにした。窓側なので消灯してもカーテンの中にもぐりこんでしばらく夜景を見て過ごす。損傷MDも今回は調子がいいようで素直に動いているので私にストレスはない。足柄SAを左に見た頃から記憶がないので眠ってしまったものと思われる。
起きた時は、山陽道を走っていた。素晴らしい、5時間は眠っていたことになる。標識は「倉敷」とあったので福山まではもうすぐと知れる。やはりこのバスは快適だったのだなー、と少し早い朝食を暗闇の中でとる。
福山には6時過ぎに到着。このバスは尾道まで行くが、ここから鉄道に乗り換えた方が時間も短いし、料金も若干安いので山陽本線を使って尾道入りした。福山駅(尾道駅でもそうだったが)では駅のBGMにうるさくない程度に鬼束ちひろの「いい日旅立ち・西へ」が流れている。あー、なるほどな、という演出ではあった。
尾道の印象は、確かに大林監督の映画の影響は少しはあるかもしれないが、何よりも昔やっていた宅急便のCMによるものが大きい、あの数十秒間のCMに写されている尾道は細くて複雑な坂の街だった。街を撮るという条件として私にとって坂はなくてはならないほど好きなものである。埠頭で、これまた撮りたかった渡船のある光景を押さえて、名だたる寺社を巡ったが、やはり印象深いのは名もない細く入り組んだ坂道だった。途中、ごみ収集をしている人がいたが、キャタピラのついた小型運搬車を操作して坂の上り下りをしていた。クルマなど絶対に入れない、しかも階段ありの坂となっては、それがこの街の日常なのだろうと感じた。しかし、旅行者だからこういう感慨にも浸れそうなものだが、「住め」と言われたら遠慮したい場所ではある。確かに足腰は強くなりそうだが・・・。実際、こうした坂に迷いながら写真を撮っていて見たものは手入れをしていない(おそらく廃屋)家が多かったこと、場違いな畑が突然現れたりと住むのをやめてしまった人も相当いるのだろうと思った。
渡船にもその後2往復乗った。時刻表などなく、始発と終発が決まっているだけでとにかくせわしなくうごいていた。乗っても片道5分とかからないので尾道水道の狭さがそういうところでもわかろうというものである。そこではちょっとしたスナップ写真を撮ることができた。
1日目の夜からレンタカーを利用。展望台に登って尾道の夜景を撮ったりしていた。クルマは他社製のものであろうが基本的には自家用車より性能はいいはずなので何の問題もない。カーナビなどもついていてその操作にも一時は面食らったが、ここぞという時の便利さも痛感することとなった。やはり知らないところではあるに越したことがない代物である。まあ、もっともフツーに走っている時はお気に入りCDを突っ込んで聞いているのみだったが・・・。
2日目の撮影は向島の高見山の展望台から始めたが、これがまた曇天で、思い返せばここだけが不発のポイントだった。まあ、後に立ち寄る因島公園よりは多島美という感じはしなかった。ここでは1時間半ねばったが、ついに望むような光景にはなってくれなかった。
向島の次は因島、生口島、大三島と渡って、それらにかかる因島大橋、多々羅大橋の景観を楽しんだ。特に因島大橋は前から見たいと思っていたので訪れることができて感激ものだった。帰りにも山陽本線からその全景が見られるところがあったのだが、思わず途中下車したくなる衝動にかられたほどだった。それらの橋を一気にクルマで渡り、島を巡るなどつい数ヶ月前までの私からすれば考えられないことだった。ここだけ押さえればあとは船で島々を巡るだけである。個性的な島だという印象が強かったのでまた来た時には是非立ち寄ってみようと思う。因島は因島公園から見た夕景、夜景の美しさ。生口島はサンセットビーチからみるひょうたん島など面白い景色が多かった。そして大三島は大三島神社の荘厳さ、西端の宗方地区の最果て感が素晴らしかった。特に雲間から海に降り注ぐ「天使の梯子」と多くの島のコンビネーションはある意味私が見たかった瀬戸内のしまなみに近いものがあったのでその美しさに息を呑むばかりだった。写真の方もいろいろ撮ったのでどれかはいいものになっていると思うが、そうでなければ非常に悲しい。是非ともワンカットのみでもいい写真になってほしいと現像待ちの日々を送っている次第である。
3日目。中国地方は雪だった。寒気が強いとはいえ、こんなに簡単に雪雲が瀬戸内にやってくるとは俄かには信じられなかったが、現実は銀世界になっていた。中国地方は私が考えているより日本海側の雪雲を楽々とスルーさせてしまうらしい。天気の影響が大なりとは言え、まさか広島の瀬戸内地方で積雪を見ることになろうとは夢にも思っていなかった。というわけで、大したものではないが、雪景色もちゃんと押さえることができた。めでたしではある。
ヒコーキでは窓側の席をゲットしたのでそれなりの鳥瞰写真を撮ることができた。特にヒコーキから富士山を見ることは今までなかっただけに感動した。あとは名古屋地区、静岡の砂嘴、伊豆半島、伊豆大島などを写真におさめることができた。
とまあ、つごうフイルム28本、この現像がいつになるかまたわからないのが情けないところだが、ともかく海の写真を撮ったのも久しぶりで、スナップ写真もまずまず撮ることができた。何より天候に恵まれたことと、再三いうクルマの機動力のおかげで満足できる旅行になった。
詳しくは書かない、なんて言って、こんなに書いてしまった。あー疲れた。
撮影雑記帳 2003年12月分 および2003年分の雑記帳はこれでおしまい。
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