(四国最南端・足摺岬撮影行)
1990,7/23〜28
大垣夜行で名古屋まで先行し、そこからは一気に岡山まで新幹線でやって来た。
岡山での接続がぎりぎりだったが、何とか特急「南風」に乗ることができた。これで高知まで座って行ける。この夏は2つの旅行を計画している。一つはこの旅行で四国最南端の足摺岬を目指す。そしてもう一つは8月の盆明けに東北地方の旅行を計画している。
写真は瀬戸大橋、この橋を渡るのはこれで2度目である。1度目は宇野からフェリーに乗って高松に渡った帰りに利用したことがある。それにしても本州から四国を渡るのに、この橋の壮大さには目を見張るばかりである。凄いものだと思う。
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14時間近くの移動で高知県は西の中村に到着。土佐くろしお鉄道の終点(この旅行の時点)である。乗り換えの接続時間が合計で20分くらいだったので順当な移動だったとは思う。居眠りもしなかったが、それほど印象に残った景色とかもあまりない。期待して見たのが大歩危・小歩危の渓谷美だったが、対岸を国道が走っているのでさしたる緊張感もなかった。むしろその付近の山の険しさが、自分の予想していた四国とははるかに違ったものであったために驚いた。急峻な山肌に畑もあり、人家もある。こういうところでは暮らせないなー、というのが第一印象だった。
写真は四万十大橋をバックに記念撮影したもの。四万十川は「渡川」との表記もあった。
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中村に1泊した後、次の日は足摺岬までバスで行く。途中、土佐清水でバスは乗り換える。両方とも1時間強の乗車時間なのでバス酔いが心配されたが、鉄道より風光明媚なところを走るので、眺めているだけで十分。クスリなどは必要なかった。土佐清水までは、大きく孤を描く白砂青松に相応しい景観が印象に残った。(何という所かはわからなかったが、そういう場所は1箇所くらいしかなかったので名のある浜だったに違いない)
土佐清水からの移動で驚いたのがバスの運転テクニックだった。よくぞこんな峻険な、さらに細い道を行けるものだと景色よりも運転手の手さばきに見とれることが多かった。足摺岬は、私の感覚では観光地であり霊場であるので、その途中にもいろいろ小さな集落があったりして、人が思いのほか住んでいることに驚いた。日本とは広いものだと旅行の経験も浅い私だったが、そう思ったのは正直なところである。
写真は足摺岬の直下にあたる海岸、「白山洞門」という奇勝。真夏の正午過ぎなので無茶苦茶暑い。
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足摺岬では1泊2日の行程だった。着いた日は、展望台で岬を眺めて周囲の観光スポットを巡った。この岬で撮りたかったのは、次の日の夜明けの写真だったので初日はほとんど観光だった。四国霊場の金剛福寺、白山洞門、避暑のため訪れた「ジョン万ハウス(ジョン万次郎にちなんで作られたスポットであるらしい)、おまけにうっそうとした植物園などというものにも立ち寄った。
民宿は展望台から徒歩5分で至便である。中村の民宿と同じで食事は大したことはなかった。もっとも泊まるだけで私は満足しているので特別注文の類はしなかったが・・・。
翌日は、3時起き。展望台は潮鳴りがゴーゴーいっていた。空は満点の星で心は安らぐが海は真っ暗で恐怖を感じる。人はもちろん誰もいない。何でこんなことをしているのだろうとあきれもしたが、旅行中のことで誰に迷惑をかけているわけでもない。勘弁してもらおう。まあ、これもひとつのエピソードである。
夜明けは荘厳である。黒雲を破るかのようにして現れた太陽は日の出の太陽らしくなく、しっかり熱をもった真夏の太陽だった。
写真は足摺岬灯台。この柵沿いに四国最南端の表記がある。自殺を思いとどめるための看板も立っていた。
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足摺岬の日の出を見て、土佐清水に戻り、この日の午前中は竜串に向かった。特異な海岸の浸食で造られた地形で、それはそれは凄いものだった。語彙が少なくて表現できないのは私の能力の至らないところであるため詳しい説明は棚に上げておいて、専門書に譲ることにする。
海岸を歩いたが、不用意なことにノースリーブでいたために日焼けをしてしまった。四国南端の陽射しはさすがに強いと身を持って感じた。
海中探検船(グラスボート)で珊瑚を見たり、貝類の博物館などというものにも入って時間を潰したりした。この日の宿は竜串にとってあったので、午後をどうしようか考えあぐねたが、西に叶崎(かなえざき)という素敵な名前の岬があるというので行こうと思い、実際にオプションとして訪れた。
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叶崎は素晴らしいところだった。
結論を言ってしまえばそういうことだった。
バスを降りたのは写真の灯台を下に見下ろす場所だったのだが、そこで衝動的に下車したのである。青い海に映える白い灯台、それがとてもドラマチックに映った。もともと計算外の場所だっただけにこの感動は大きなものになった。天候にも左右されるのはもちろんだが、晴れた日は素晴らしい景色になることは間違いはない。これは個人的な見解ではあるが、一押しの場所である。
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次の日。竜串⇒土佐清水⇒中村と一気にバスで戻り、鉄道で高知に向かった。写真はJR四国と土佐くろしお鉄道の接続駅の窪川というところ。今まさに高知へと向かわんとするところである。
この後、伊野で途中下車。紙の博物館なるものに寄ってみた。一通り巡った後土産物コーナーで半額になっていたTシャツを2枚も買ってしまった。お土産としては胸にワンポイントだけではインパクトがなくて売れなかったのであろう。買ってみてそのポイントが学校の指定体操着に見えなくもない。そんなセンスのTシャツだった。
高知に到着後は高知城や坂本竜馬生誕の地の碑があるところを巡ったりして宿を予約していた桂浜へとバスで向かった。
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日も暮れようとする中、桂浜に到着。何はともあれ坂本龍馬像を見に行く。「太平洋を見据える龍馬像」とガイドに書いてあったがまさにその通りで、観光客が観賞するには随分と上の方に像はある。大きさも予想していたよりずっと大きく立派なものだった。
桂浜でお決まりの風景写真を撮った後、宿に転がり込んだ。民宿ではあるが素泊まりなので気軽なものである。冷房をガンガン効かせて布団を被ってぐっすり眠った。
桂浜は考えていたよりずっと人工的な浜という感じがした。竜王岬より西側のフラワーロードの方が開放感があった。
高知滞在最終日。この日は桂浜から市内を目指し、午後は御免方面へ路面電車に乗ってブラブラ散歩した程度だった。ちなみに立ち寄った施設は、自由民権記念館、坂本龍馬歴史館なるものだった。
夕方、市街地の中心ともいう帯屋町アーケード街を散策。アーケードが大きい、という以外は何の変哲もない商店街だったような気がした。夕食もそのへんの食堂で済ませてからBHへと戻って旅行最後の夜を過ごした。
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最終日。航空券など買う金は予算化されていないので陸路で復路を行く。
写真は、よさこい節にも出てくる「播磨屋橋」だが、遺構である。右側の欄干がそれらしく雰囲気を作っているが市街地のど真ん中なのでこうして写真を撮るのにもそれなりに覚悟は必要(笑)である。一生に一度の愚行、と割り切ればこうして記念写真として残すことができるのである。まあ、ここでの記念写真は最低2名以上で行なうのがいいだろう。
高知からは、急行「土佐」で瀬戸大橋手前まで行き、後はマリンライナーで橋を渡って岡山から新幹線。こういう順番で列車に乗ると新幹線は本当に早いのだと感じてしまう。
高知西部の遠征。四万十川、宿毛周辺のこと、今度来ることがあったらそのへんを訪ねてみたい、という欲が出てしまうくらい魅力的なところだった。
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TOSA PROJECT : THE END
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