1996,夏(後編)
いつも私が勝手にふらふら出かけてしまうのを写真右の蛍子(ほたるこ)は快く(と言うと聞こえはいいが、当然いろいろな条件がついて回る。それは一定したものではなく、その時々の「条件」という意味である。)認めてくれる。
蛍子が、私の山形行きを許したのは、その後仙台で合流し、宮城・岩手・青森・秋田そして山形(庄内)のガイドをする、ということによっていた。彼女は何と(実は私も社会人になって初めて東北地方に足を踏み入れたのだが・・・)この歳(何歳でしょう?)になるまで上の5県を知らないという。それではいけない(何が?)ということでこの旅行をすることになった。
もちろん私の撮影も日程の中に入れてあるが、まあ蛍子と一緒なのでそれでどうなったのかは、以下目を通していただければと思う。
写真は松島で撮ったもの。仙台駅で待ち合わせた後、バスで青葉城址へ行き、弁当を食べてこの地にやって来た。松島では橋で島を渡ったり(後方の赤い橋:有料)、瑞厳寺を見て回ったりした。私は2度目だったが寺の方は初めてだった。伊達氏の菩提寺だという、襖絵がきらびやかでとても印象に残った。
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この旅行で泊まった宿を列挙すると、@仙台市:BH、A盛岡市:BH、B十和田子ノ口(民宿連泊)、C秋田市:BH、D吹浦(民宿)、というラインナップになる。ビジネスホテルは夕食はないところばかりなので外食である。まあ、見栄も張れずに安いところを泊まり歩いていた感がある。
撮影はひとりでしたいが、食事はひとりだと寂しい。その意味では蛍子を連れての旅行は充実を約束してくれたようなものである。が、私のペースでことを運ぶと「お荷物」になってしまう危険性がこれも十二分にある。
写真は2日目の午前中訪れた平泉の中尊寺。月並みな表現だが、貫禄が感じられる寺だった。金色堂はやはりきらびやかで、実物はやはり一見の価値があると思った。
また、ここで二人の共通の知り合いに偶然会ったというエピソードもあった。世間は狭い。
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平泉駅で銘菓「鴎の卵」を買って昼食代わりにする。各停電車で盛岡に着いてすぐ小岩井農場行きのバスに乗った。
農場では場内巡回バスというものに乗り、二人して一番前の席で見学コースを回った。工場内の見学では、そこで作っているソフトクリームを食べたがとてもおいしかった。また、同じバスで回っている一団の(絶対と言っていいほど茨城県の)おばさん軍団も印象的だった。
バスにはガイドが乗務し、要所要所で農場の説明をしてくれるのだが、「熊の出現」についての話をしている時にガイドと蛍子が悲鳴をあげたのでびっくりして目をやると、前方を横切る黒い影が見えた。私は(多分)尻のところしか見ていないのだが、熊だったという。「滅多に見られないんですよー」と言っていた。ラッキーということだろう。蛍子は喜んでいた。
写真は農場で撮ったもの。後ろに見える山は岩手山(南部片富士)である。山間の爽やかな農場だった。
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盛岡県庁のそばのホテルで一泊した後、翌日の午前中いっぱい盛岡市街を散策した。民芸調の店や南部鉄器、南部せんべいの店などにも立ち寄った。
「啄木新婚の家」という施設で小休止。絵葉書を買う。
写真は市内の変哲もない通りなのだが、かの宮沢賢治氏(あまり読んだことはないが・・・。「雨ニモ負ケズ」くらいは知っている)の像があったので記念写真をとった。賢治像の肩に手を回していい気になっているが、実はこれが夏の陽射しに焼かれて相当熱かった。調子に乗るとこういうことになる・・・。
後は、「石割桜」を見たり盛岡城址を散策したりと、まあ暑い中だったが昼までの時間を有効に過ごせた。二人でいて丁度いい散策のペースだった。一人だったらあれもこれもと欲張って中身の薄いものになっていたかもしれない。
駅前から駅舎を見ると、「もりおか」と平仮名が見える。石川啄木氏の筆跡らしい。こういうセンスは「いいなー」と感じる。なんだか半日で去るのが惜しいくらいの盛岡散策だった。
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写真は十和田湖を見下ろす展望台で、盛岡から特急バスに乗って子ノ口まで行く途中である。特急バスだがこうしたスポットでは小休止する、なかなか味のある(天気が良ければ)サービスである。
蛍子がいるので写真を撮ってもらった。私が見てもなかなかの構図である。何とかフォーカスロックくらいはマスターして欲しいと指導した甲斐があったというものだ。停車時間は大体10分。子ノ口まであと一息である。
宿では、バスにたくさん乗ったので「疲れた」と蛍子はゴロゴロしてしまったので、私は湖畔で夕景を撮っていた。なかなか素晴らしい景色だった。
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奥入瀬渓流。次の日は朝方まで雨が降っていたが、朝食をとったあたりから回復してきたので、予定通りこの渓流を歩くことにした。子ノ口からバスで一旦下流まで運んでもらって、ゆっくり写真を撮りながら戻って行くパターンである。私は機材一式を持っての行動だが、蛍子は雨具のみの携帯で本当の散歩という感じである。まあ、実際、遊歩道はよく整備されているのでよほどのことがない限り足回りだってそんなに気は使わなくてもいいような場所である。こんな便利な撮影一級地では新緑や紅葉などのシーズンはさぞかし死ぬような思いをするだろうと想像しながら、閑散とした深緑の中、快適な撮影を楽しんだ。
3時間くらい歩いて子ノ口に帰って宿で休憩した後、今度は休屋まで観光船に乗って湖上から十和田を楽しんだ。十和田湖はとても深い青で、こんな色があるんだろうかというくらい息を飲む美しさだった。
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十和田で2泊した次の宿泊地は秋田。この日は移動が大半だったのでその経路にこだわった。結果的には天候がすぐれなかったことなどにより途中で変更して秋田へ行ったのだが、変更前のコースは以下の通りである。
子ノ口(特急バス)⇒青森(普通列車)⇒弘前(五能線経由)⇒秋田
バスでの行程は乗りっぱなしなので有名な温泉地(蔦・酸カ湯など)を通り過ぎるのは蛍子にとっては物足りなかったようだが、私はこの雨の中でもこのブナ林で撮影をしたい、と何度となくそういう衝動にかられた。まあ、その時は「今日のメインは五能線」というのが頭にあったので目をつぶれたのかもしれない。
写真は弘前駅で。五能線を引く先頭のディーゼルカーである。前に五能線に乗った時もこんなのに乗った記憶がある。が、この日はこの列車に乗ることはなかった。
蛍子が体調不良を訴え始めたのである。どうやらバス酔いを引きずってたらしい。私にとっては悲劇である。
無理はできないとしても「やっぱり惜しいなー」という未練はしばらく残った。
蛍子は特急で秋田まで移動したこともあって回復して、夜には川反で郷土料理を食べていた。
天気が冴えなかったから五能線はあきらめられたが、もし好天だったら、別行動をとってでも乗ったかもしれない・・・。それほど魅力的な、ある意味で「魔性の路線」である。
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翌日、打って変わって快晴の「岬訪問日和」である。半日使って男鹿半島の入道崎を訪れた。私はここは2度目なのだが秋田を回るのなら蛍子をここに連れて来たかったので男鹿線とバスを使ってやってきた。前に来た時は夕方の沈んだ光景だったので、この日の爽やかさにバスを降りて一瞬たじろいでしまった。しかし、岬は数年前の記憶のものとほとんど変化がなかった。そういう時ほど自分のとってきた歳を考えるというが、確かにそんな感慨はあった。
開けた岬は気持ちがよく、贅沢な散歩に興じることができた。
秋田からは特急で遊佐まで進み、ひとつ戻った吹浦の民宿で最後の1泊をした。家族的な雰囲気がとても暖かさを感じさせる宿で蛍子はいたく気に入っていた。
吹浦海岸の夕日も素晴らしく、「これは日本海側の特権だなー」と、この時も感動した。
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旅行最終日、この日は庄内一点観光に絞った。場所は酒田。私は鶴岡の方が街並みとしては好きなのだが、酒田でも連れて行きたいところがあったので今回は庄内一の地方都市を訪れた。もうここは蛍子の興味の赴くままについて行った。「本間家」「郷土資料館」「お米の資料館」と軒並み食いつぶすように見学した。米の資料館では私は入館せずに倉庫裏のケヤキ並木の写真を撮っていた。前に来た時に上手く撮れなかったので再戦を挑んでいたのである。
写真は「土門拳記念館」。土門拳の写真は凄いなー、と思わせるものばかりで酒田に来ると立ち寄っている。私はこの時で3回目だった。
蛍子も畳一畳くらいに見える大きな写真に終始圧倒されているようだった。
この池の鯉がなかなか被写体としていいな、と思っているところに蛍子が「こういうのっていい作品になるんじゃない?」などというのでその気になったら何とフイルムがケヤキ並木のところで終わっていた・・・・。
「逃がした魚は大きい」全く洒落にならないエピソードで旅行を締めくくることになってしまったが、総じて言えば充実した旅行だったと思っている。蛍子の頭の中にこれで東北地方の地図が入ったということで当初の目的は達成された。万歳である。
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東北二人旅 おしまい
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