(TANGO PROJECT)
1995,12/25〜28 丹後伊根・天橋立・宮津 撮影行
この日の移動は写真のような雪で予定が最初から狂ってしまった。
私の場合、小田原発7:06のひかり号は、当日発、飛行機以外の手段で西方面に行ける最速の足である。しかし、写真は名古屋を越えたあたりで、それ以前にも豊橋を過ぎた頃から徐行運転が始まっていた。
私は、このひかり号で接続する京都発の「タンゴディスカバリー号」という列車に乗ることになっていたのだが、米原で新幹線が立ち往生したため、せっかく手に入れた指定券はその時点で使えなくなってしまった。
しかしまた、京都に着いて、「どうしてくれる」というようなことを窓口に言ったら「降雪遅延」の証明をしてくれて次の特急の指定券に振り替えてくれた。まあ、次善の策で何とか当日中に丹後に着く目処が立った。
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話の続きで京都駅。京都駅構内は改装工事のため慌しかった。外に出ることもなかったので何とも言えないが、相当様変わりするらしい。
列車を待っていて来たのが写真の列車。特急「あさしお」と書いてある。乗りたかった列車は北近畿タンゴ鉄道のエース車両だったのだが、この列車を見て「うん、これでもいいか」という気にもなっていた。前面は雪がはりつき、雪が相当降っていることがわかる。後で聞いた話ではこの冬一番の雪らしい。
列車が出てしばらくは京都市街だが白一色の景色を見て「降りたい」という衝動が何度かあった。雪の保津峡なども通過するのが惜しいくらいだった。
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ともかく列車は順調に走って、天橋立で下車。そこからはバスで丹後半島の伊根に向かう。その伊根は「舟屋」という独特の街並み(景観)で有名な所である。1日目の宿はその一軒の民宿である。
鉄道は暖房が効きすぎで暑いくらいだったが、まるっきりの外に放り出されると足元からキーンと冷えてくる。踏み固められた雪は危険でもある。
天橋立駅からバスは天橋立で外海から分断された阿蘇海をグルッと回ってそこから丹後半島を北上する。
写真はバスの通る道で、対向車はすれ違うことができない。大変狭い道がくねくねと集落ごとの湾に沿って続いている。
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1日目の夕方前に伊根に到着。「新井(にい)の千枚田」という景色を見に標識の通り小一時間ほど歩いて行ったが、ご覧の降雪によりただの白い斜面がそこにはあるだけでどこが田んぼなのかさっぱりわからなかった。雪が降ったら景色がどうなるかぐらい予想できそうなものだが、愚か者であるがゆえに無駄足を踏んでしまった。そんなことならバスで「経が岬」まで行けば良かったな〜、と内心後悔した。
宿は舟屋作りで部屋の下は波の音が聞こえる船庫である。6畳一間でテレビもない部屋だったが、こうした宿ではその必要性は全くないと感じた。実に粋なサービスでもある。
窓を開けると足元は海。夜になって吹雪いてきたが、沖合いに光る漁船の光がぼんやりと幻想的だった。
写真は26日のもの。時折雪の降る天気。舟屋に雪は良く似合う、と思う。
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2・3泊目は天橋立の民宿に泊まる予定だったので伊根から天橋立に戻る道すがら写真を撮っていった。
写真はバス会社の「先導車」である。この車が細い路地の先導をして、バスがスムーズに運行している。わたしもバスでしか行けないような不便なところを旅行しているが、こういうシステムは初めてだった。バスの運転手は無線で連絡を取り合って、その集落を通過できるか情報をもらってから前進するというものである。
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ケーブルカーに乗って傘松展望台に到着。積雪もあり、とても歩きにくかったので往復ともケーブルカーの利用である。
これが日本三景の一つでもある「天橋立(本人は邪魔)」である。宮島と松島は行ったことがあるので、ここが三つ目になる。(だからどうした、ということになると「それだけのこと」なのだが・・・)
写真の説明は多くは要るまい。「股覗き」である。
じーっとこの姿勢で景色を見ていると頭がくらくらしてくる。(当然か)
この後は、手前から向こうの方へ天橋立を渡っていった。幅はないように見えるが歩いてみると結構しっかりした道路になっていたりする。足にやさしい道でもある。
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3日目。この日は宮津と由良に撮影に行った。
宮津では両日の雪が多く残っていたが天気は良かったので雪かきなどの作業をしている人が多かった。寺も多く、私はそうした街並みを午前中いっぱい撮っていた。
写真は「宮津教会」。ステンドグラスが美しいとものの本に書いてあったので行ってみた。ここは畳敷きの教会で、たまたま掃除をしている人がいたので撮影の可否を尋ねたところ、「ご自由にどうぞ」という意外な返事。実に太っ腹な教会である。
そういうわけで、三脚を(気持ち)遠慮がちに立てさせてもらい、あとは撮影のし放題。独特な雰囲気の中での印象に残った撮影だった。撮影終了後は畳に座って大休止。午後には由良に向かった。
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由良川橋梁。ここで川を渡る列車を撮ろうと思った。この路線は電化されていないのでご覧の通り、橋としてはとてもわかりやすい構造である。単線なので「風の強い時は落ちないか?」という気がしないでもない。列車で通った時に、よく見る鉄道写真の景色で「ここかな?」という気がしていたので調べてみるとやっぱりそうだった。
午後は曇天で冴えない感じになってしまったが移動はそれほどなかったので川のたもとをうろうろしているだけで終わってしまった。
ちなみに、由良は「安寿と厨子王」の物語の舞台であるという。駅の説明板にそんなことが書いてあった。
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最終日。ルートは舞鶴から小浜線で敦賀に向かい、そこから米原を目指すことになっている。途中下車の撮影地は、小浜と湖北である。
写真は、舞鶴付近を走っていた列車。「西舞鶴−東舞鶴」という一区間の列車にも乗った。列車の色は地方ごとにいろいろ派手になっているところもあるが、この色は昔っぽい感じがする。車両のことはよく知らないが、小浜から敦賀まで乗った急行もこんな色をした列車だった。
小浜線で印象に残った光景は次の通り。
@若狭富士の端正な山容
A大飯付近の場違いなほどの電力施設の異観
三方五湖もそばを通ったが、俯瞰できるところを列車は走らないのでその景観を楽しむまでには至らなかった。
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小浜で。街を歩いていると時々おかしなものを見つける。私は路上観察モノの本などを見てけらけら笑っているくらいが関の山なので、そういう観察眼には欠けているのだが、そういう私でも「意味不明」なものを見つけると顔が自然とほころんでしまう。
「デンキ湯」とは、いったい・・・。営業している時間帯でなかったのが悔やまれる。
ここでは、小浜港の市場へ足を運んだ。さすがにかには本場とあって相当な量が並んでいた。私は「小鯛の笹づけ」が好きなので、よくある樽入りのものでなく、パックされた廉価版を大量に買い込んだ。こういうものは見栄えの感じからも家の近くのスーパーなどではとりあげそうもない商品である。
ちなみに味の方は、そういうものでも結構いけるのではないか。おいしかった。
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最終撮影地、湖北。野鳥のサンクチュアリとしても知られるところらしい。
ここに至るまでは、下車駅を間違えて余呉湖に行きそこなったりして何とか辿り着いた、という経緯がある。
それはともかく、この写真で見てもわかるように、ここに落日さえあれば「一丁上がり!」という構図である。ありきたりの写真ではあるだろうが・・・。
かくしてそういう写真を収めてから帰途についたわけだが、北陸本線の高月駅で今まさに列車に乗らんとする時に手帳を落としていたことが判明。まあ、大したことは記録していないものだったが、「あ〜あ」という感じではあった。
この旅行ではわりと天候には恵まれて、いい景色が見られたと思っている。書けるエピソードはこの程度だが途中下車したい場所はこのほかにも多くあった。それだけ内容があった撮影行だった。
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丹後プロジェクト おしまい
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