(津軽海峡U・本州最北端撮影行)
1996,12/25〜28
本州の最北端へ。
東京を出発し、鉄道では盛岡・野辺地・下北で乗り換え、大畑からはバスで一路大間崎を目指す。地図を見てもとてもわかりやすい経路である。
盛岡駅で乗る特急の行き先(「函館」とあった)を見て、一瞬衝動的に行き先を変更しそうになったが自重した。あくまで本州最北端がターゲットなのである。危なかった・・・。
写真は大湊線の下北駅。ここから大畑まで下北交通というローカル私鉄が出ている。看板には「みらい海峡ライン」と書いてある。
今回は3泊4日(大間1泊・むつ2泊)で、私が持って移動できる持ち物はだいたいこの期間が限度である。このごろやっとそういうことがわかってきた。今までの様子は推して測るべしである。
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いきなり2枚目の写真で本州最北端の岬に立ってしまった。私の旅行の傾向は遠い場所から徐々に戻ってくるパターンが多い。理由は明確ではない。計画時の気分によるものが多い。
大間崎は海岸すれすれの岬で、それほど目立った起伏もなく、断崖などもない拍子抜けするような岬だった。陸奥湾を隔ててある対岸の龍飛崎とはえらい環境の違いである。ただ風は強く、冷たかった。
大間の民宿は海岸のそばにあるので風をモロに受ける。夜半から風が強くなり始め時折壁を「ドシン」とゆすってくる。することもないのでテレビを見ていると、おかみさんがやってきて「外を見てごらん」と促してくる。言われたままに窓を開け放つと、水平線上がやけに明るい。函館方面のイカ漁であった。風は強く寒かったが、とても幻想的だった。写真にもしようと思ったが風が強く三脚をホールドできなかったので「見ておしまい」という景色だった。
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明けて26日。風が強い。雪は粉雪で道路に積もったものなどは写真のようにさらさらと舞っている。午前中はこういう天気の中、大間の街を散策(と言える状況だったかどうかはわからないが・・・)した。とにかく、風をまともに受けるところでは切れるように冷たかった。カメラのバッテリーも落ち気味なので「張るタイプ」のカイロをグリップに貼り付け、その上からグローブで握り締めた。これで結構もつものである。
大間からは函館へフェリーが出ている。船で函館もいいなー、と一瞬考えたが、今回は尻屋に行きたいという思いが強かったのでまた自重した。
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この旅行中、写真の下北交通のディーゼルカーにはずいぶん世話になった。大畑駅で撮ったものだが、ここは本州最北端の鉄道の駅である。(1996年現在)
長い編成ならともかく、こうして1両だけホームに止まっているのを見るとついつい線路に下りて一回りしたくなってくる。
なかなかいい面構えしてるなー、とこの前面をファンは「顔」と称する意味も何となくわかる気もする。
鉄道のない時間は同じ区間をバスが補完する。だから移動はバスでも良かったのだが、愛着を感じたのでこのディーゼルカーに乗って田名部まで戻った。
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27日。気温が高いのかこの日は早朝から雨が降っていた。「雨はまずいなー」と内心思った。雪ならカメラにかかっても払いのけることが多少はできるが雨だとレインコートをかけたりして機動性が落ちてしまう。雪を撮りに来て、雨とはモチベーションの低下は避けられない条件だった。
むつバスターミナルからバスに乗って尻屋に向かう。木が生えているので見た目ではよくわからないが、うねうねと続くゆるいアップダウンは砂丘地形であるらしい。行程の大半はそんな感じだった。
終点に近づくにつれて険しいところをバスは走る。はるか下に資材運搬の専用港(尻屋崎港と地図にはあった)を見下ろすような場所があったり、写真の尻屋はこの景観から窺い知るに「陸の孤島だな」、という印象が強く残った。天気も雨こそ上がったが分厚い雲が全天を覆い、余計にそう思わせる雰囲気があった。
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尻屋から松が生える砂丘地帯を海岸に抜けて、尻屋崎灯台にやって来た。
こんな日に訪れる人もなく、ずっと私一人だった。私以外には時々馬を見かけた。3頭ほど見かけたが、これがかの「寒立馬」である。風雪に耐える姿が何かの写真で見た印象的な光景だが、この日はそんなこともなく、柵の向こうでのんびり草を食べていた。後で聞いた話だが、数が少なかったのは、その大半は松林の中に入っていたのだろうということだった。出てくる時間帯や条件があるのだろうが、そんな習性があるとは知らなかった。
灯台の周辺で小休止した後、バスの通っている道路まで戻ったが、バスは当分(3時間くらい・・・)やって来ない。仕方がないから行けるところまで歩くことにした。最低なことに大粒のボタン雪が降ってきた。雪をやり過ごす場所もなく田名部に向かっての行進が始まった。
1時間半も無味乾燥な歩きをしているところに、後ろから1台のバスがクラクションを鳴らしてきた。「下北交通」のバスだったが、こんな時間にバスが走っていないことも知っていたので、端によけてやり過ごそうとすると、傍らに止まった。ドアが開いて「田名部の方に行くのならいいから乗んなさい」と運転手氏が言う。このバスはスクールバスの回送車だった。体力はまだ有り余っていたが、この雪の中を歩くのはごめんだったので好意に甘えることにした。運転手氏の話によると、往路で尻屋のほうから歩いてくる私を見て「変な奴」と思ったそうだ。これは私の想像だが復路に至っては、その後姿が「哀れ」に映ったのだろうと思う。
いずれにしても情けをかけていただいて助かった。おかげで午後はゆっくり大湊周辺を撮影することができた。
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最終日。この日は早々に田名部を発ち、帰りの経路を利用して写真を撮ろうと計画した。と言っても南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄を乗り潰して三沢に抜けてしまえば、それでおしまい、という単なる移動とも言えなくはない。
南部縦貫鉄道は私が訪れた時点で余命幾ばくもない路線であった。本数が極端に少ないので朝一番の下り列車に乗ろうと野辺地まで戻ってきた。
そろそろ来るな〜、とホームで待っていると何の媚もなく、レールバスが驀進してきた。200ミリのレンズで迎え撃ったが、「早いっ!」というのが第一印象。もっとゆっくり走っているものだと思ったので面食らった。
列車の構造などはよく知らないが、ギアがついていたりするところはバスなのであろう。継ぎのあるような古い車体は「大丈夫か、おまえ」と声をかけたくなるような感じだった。
車内は喫煙可。車両の中ほどに吸殻入れが置いてあった。実際に地元のオジサンは吸っていた。ある意味で寛大な鉄道である。
乗り心地は凄かった。どこかの本で「ぽんぽん跳ねる」と表現していたが、その通りだった。
レールがゆがんでいるのか、車体が古いのか、きっと両方が原因なのだろうがよく揺れた。これがこのレールバスでなかったらきっと酔っていたのだろうが、緊張がいい方に働いたのか、とても楽しい乗車体験だった。
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南部縦貫の終点、七戸からバスで十和田市まで行き、そこからは三沢まで十和田観光電鉄で向かった。この時はもう疲れも出たのか眠ってしまった。私がはじめて乗る乗り物で眠ってしまうことなど滅多にないことなのだが、よほど南部縦貫で緊張し、興奮していたからだと後になって思った。
写真は十和田観光電鉄の三沢駅。味気ないJRのものとは違って独特の空気がそこにはあった。右の写真はネガプリントをスキャンしたものだが、ポジではもっといい感じが出ている。私は鉄道写真を撮るのも好きだが、どちらかと言うと「鉄道に関係のある写真」を撮っている傾向がある。
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東京までの最終ランナー、東北新幹線である。帰りは写真のMaxという2階建ての新幹線に乗った。私にしては珍しく指定券を買っての乗車である.。座席はもちろん2階である。
さすがに景色はよく見える。それが全区間ともなると寝ている暇などない。
旅行というものはできるだけ最後の最後まで非日常の中にいたいものである。私はこういう列車に乗ると無性にわくわくしてしまう。そういうところは私がボーズだった頃とあまり変わっていないような気がする。
ちなみに1階席も覗いてみたが、こんなところに乗った日には寝るしかない。
「寝てはいけない、外をずっと見ていろ」などと言われたら即座に下車してしまうだろう。同じ指定券でも1階は半額程度にして欲しいものだと感じた。
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下北プロジェクト おしまい
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