NOTO-KANAZAWA LINE
1998,JANUARY
1日目。能登半島。
0日目に横浜から夜行バスに乗り、金沢へ。それから七尾線に乗り換えて更にのと鉄道を利用する。1日目の目的地は能登半島の突端、禄剛崎で宿泊地は輪島である。つまりは能登半島を反時計回りに輪島までぐるっと巡ってしまおうという魂胆なのである。
時は1月上旬で、関東地方では珍しく大雪が降って、軒並み交通が乱れていた。かく言う私の利用した夜行バスも前日は、高速道路の不調で運休したほどであった。では、雪を期待した北陸地方はどうか。
これがまた、全く降っていないのは見ての通りだが、暖かくて降る雰囲気さえもないといった有様である。これは一体どうしたことか。
写真は、のと鉄道穴水駅での記念写真。ここでは雨が降っていた。
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鉄道で珠洲まで行き、JRバスに乗り換える。終点の蛸島まで行っても良かったが、天気が雨模様だったので雨をしのげる駅を利用した。バスは何だか古いタイプのバスで、何と座席に国鉄マークの入った灰皿つきのものだった。「このバスは喫煙可なのか?」と一瞬目を疑ったが、それほど古いバスが走っているというだけのようだった。
狼煙(のろし)というバス停で下車し、5分も歩けば禄剛崎灯台に着く。そういう意味でとても便利なのだが、あっけないという気もする。岬の突端はそれなりの苦労があって、その到達感が得られるというものではないだろうか。しかしまた、再三言うように天気が冴えないのでそんなものでもいいか、という気にもなっていた。
一見して(しなくても)観光客が私を含めて3名ほど。私は三脚を持参しているので記念写真は苦労しないが、たいていの人はそうではないので今回もこの2組の訪問者に撮影を頼まれた。
岬は断崖だったが、下に見える海は穏やかで全く(私の求めている)冬の日本海としては精彩がない。ただ曇り空の下に広がるぼんやりした海である。このまま引き返すのも何だか味気ないので観光案内図を見ると、遊歩道がある。目指す輪島方面に延びているのでこんな天気(また言ってる)であるが、行ってみることにした。
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3時間くらい歩いて、木ノ浦というところまでたどり着いた。冬のこんな日に歩いている人もいるはずもなく、結局一人で歩き通した。(孤独だ)
海岸線は素晴らしいが、やはり穏やかで波がない。日が射したりすることもあり、その辺はなかなか「光景」としては見られるものである。
この写真を撮った直後、一転俄かに曇ったかと思ったら物凄い時雨の襲撃を受けた。やはり日本海側の冬である。なめてかかった(わけではないが・・・)報いなのか傘を出す間もなくずぶ濡れになった。
輪島方面に行くバスは1時間半ほど待てば来たのだが、気温も下がり寒くなってきたので珠洲行きのJRバスに乗って引き返した。能登半島北岸をバスで走破する計画は、再三再四出てくる「雨」のために頓挫した。
その後、珠洲から穴水、穴水から輪島へと列車(穴水からはガラガラの急行「能登路」)に乗って行った。
それがまた、接続が悪くて、珠洲で40分、輪島で50分程度ぶらぶらしていなければならず、とても寒かった。
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2日目。輪島のビジネスホテルを夜明け前に出て、港界隈を撮影。そして、名物の朝市を撮り歩いた。雪もなく暖かく、店の人も「いつも1月と言えば雪も結構降るんだけどねー、残念だね」と、このアマチュアに声をかけてくれる。路上に店を出すという形では相当なもので、観光客相手の土産物を売っているような店ももちろんあるが、海、山のものを素朴にシートに並べている店がほとんどである。
きりのいい時間を見計らって、能登半島の北岸をバスで東へ向かう。写真は曽々木へ行く途中に立ち寄った「千枚田」。有名な撮影スポットで田植えの時期などは千枚の鏡が並んでいるように見えるそうだ。私は「なるほど」と人の作り上げたこの奇観を上へ下へと散策しながら楽しませてもらった。
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千枚田から更に東へ行き、上時国で下車。重要文化財でもある「上時国家」に行ってみる。資料によると平家の末裔が今でも実際に住んでいるとのこと。揚羽蝶の紋が見るところほとんどにあしらわれ、外見からはうかがえないくらい内部は贅沢かつ重厚な造りになっていた。一通り家の中を巡った後は、立派な囲炉裏で冷えた体を温めてのんびりさせてもらった。こんな時期に訪れる人もいないのかと思ったが、私が退出した後、観光バスが駐車場に到着し、1日観光コースに組み込まれているのか20人くらいが門をくぐっていった。
その後は、下時国家を一瞥して、曽々木の窓岩まで行き、輪島へと引き返した。
写真は、曽々木口バス停にいた猫。バスの待ち時間が結構あったので、モデルよろしくしばらく遊んでもらった。
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再び輪島。午後の輪島はひっそりしていた。朝市が正午までで、それが終わると商店街もそのほとんどの店が閉まっていた。半日働いたらもう休み、というような街だった。そうした朝市の片鱗もない街をぶらついても仕方ない(とても寒かった)ので輪島塗の資料館などに立ち寄ったりして暇をつぶしていた。
写真は輪島灯台。断崖の上にあるので見晴らしはいい。しかし、天気が下り坂になっていたこともあって、精彩に欠けていた。
ただ、輪島を囲む山々の頂上付近には雪が積もっていた。寒々しい雰囲気は十分あった(というより、はっきり寒かった)。
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3日目。金沢である。
金沢に来る途中、羽咋の千里浜(ちりはま)に寄ってみた。旅行貯金のゴム印を見ると「UFOの町」とあった。町起こしのフレーズとしては「出るのか?」という感じだが、当局の発表によると「出るらしい」。
雨の千里浜は車一台走っていなかった。砂浜をバスなどが走っている光景を見たかったのだが、失意のうちに決して近くない道のりを駅に向かって引き返した。
写真は金沢城跡。石川門をくぐれば金沢大学、というのがひとつの名物だったこの敷地もキャンパス移転ということで工事中のところが多く、訪れている人もまばらだった。そんな中で撮った記念写真である。
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金沢市街は一通り巡った。昼間は金沢城址、成巽閣、歴史博物館(外見)、武家屋敷、香林坊など。夜は夜景を撮りに石川門と歴史博物館を再訪した。
その間に写真の近江町市場へ足を運んだ。かにを始めとする特産品を売る店が決して広いとはいえないような規模の中でひしめき合っていた。私もお腹がへったのでどこかの総菜屋さんでコロッケなどを買って食べていた。
金沢の街で感じたのはその清潔さ。たまたま訪れたところがごみひとつないところだったからかもしれないが、この印象は強く残った
また来たい街である。
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4日目。活動は午後から開始。ローカル私鉄の北陸鉄道金沢線に乗って内灘というところに行った。「内灘砂丘」という名前に惹かれてのことである。
写真がその一部。砂の質はとてもやわらかく、機材を持って歩いているとすぐに足をとられてしまい、なかなか前に進めない。そのうちに音をあげて撤退することになった。前日の千里浜はあれほど締まった砂質だったのにどういうことだろうと、ばてた体に鞭打って金沢へと引き返した。
しかし、ある意味で荒天を期待してみたものの冬晴れの日本海もなかなかいいなーと思えた、有意義な内灘訪問だった。
その後、夕闇迫る金沢の東茶屋街に私はいた。もちろん芸者遊びをしていたわけではない(する金などない)。
京の祇園をぶらぶらしていた時とはまた違う雰囲気がそこには漂っていた。小奇麗な一角に三味線の音。上手い写真は撮れなかったが、前日に感じた金沢の雰囲気の良さをここでも感じることができた。
この旅行は移動が結構多かったが、「能登」と「金沢」という二つの魅力を私なりに楽しめて良かったと感じている。
帰りは、これまた懲りずに夜行バス。漆黒の闇の中、横浜へとバスはひた走った。
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能登プロジェクト 完
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